地獄沢

茨城の西北端、福島と境を接する大子町。ここには今から400年前に「生瀬騒動」或いは「生瀬乱」と呼ばれる事件があった。

小生瀬村の住人が女子供に至るまで、藩士を殺された水戸徳川家の報復として、皆殺しにあったのだ。

その人数は数百人と言われるが正確なところは分かっていない。

この時住人は袋小路のような沢に追いつめられ殺されたのだが、命乞いをした沢の入り口付近を「嘆願沢」、奥の方で全て殺された辺りを「刃拭き沢」といい、この沢全体を「地獄沢」という。

沢の奥の方には昔は「首塚」「胴塚」などもあったらしい。

また周辺住民が殺された小生瀬村の家から農具等を持ち出したところ、怪事がつづき、結局、祠として祀ったという話も残っている。

行き方は国道461号線の大子町小生瀬十字路から北に100~200メートル行くと、広い道路の下を横切るごく小さな小川(沢)がある。

これを、田圃のあぜ道沿いを歩いて西北方向に遡ると、数キロ先で山あいに入って行ってしまう。この奥が地獄沢と呼ばれる一帯となる

三本足リカちゃん[異界の扉編]

前回の「狂気編」は突如狂ったコレクターによって産み出された三本足のリカちゃんだが最終的には呪い殺され変死するオチになっている。

だが 今回の噂は実際に起ったと囁かれている話だ。会社帰りのサラリーマンがトイ〇らスで可愛い愛娘の為に「限定」と書かれたリカちゃん人形を買ったのだ。

そのリカちゃんは自分もみとれてしまう程綺麗な顔立ちをしている。そして帰宅後 愛娘にリカちゃん人形を与えた。愛娘は大喜びでハシャイだ。

しかし次の日に異変が起きたのである。帰宅した父親が愛娘を呼んだ。だが返事もない。家中探したが愛娘の姿は何処にもなかった。すると愛娘の部屋からクスクス笑う微笑みが聞こえてくるではないか。

父親がそのドアの隙間を覗き込むと出窓に置いてあるリカちゃん人形の目が不気味に光っていたのだ。父親は慌てて部屋に入り再度確かめた。しかしリカちゃん人形の目など光っておらず無造作に置かれていた。

「な~んだ、錯覚か…」そう言い部屋を出ようとした時 またあの微笑みが聞こえた。しかも自分の真後ろから。父親は後ろを振り返るとそこには目を光らせたリカちゃん人形が「お前も引きずり込んでやる!」とここで話は終わるが一体! 何処へ引きずり込まれるのだろうか? そして一家全員が姿を消した。

この話のリカちゃんは三本足ではないがこう言ったリカちゃん人形に纏わる噂は増殖する…

筑波山の別荘村廃墟

あれは今から10年位前ですが、学園都市で営業の仕事をしている頃に発見しました。

国道125号を下妻方面に向かうとお米で有名な北条という所があります、そこの北条大池から山向こうの八郷町へ抜ける、今となっては山越えの旧道ですが不動峠という峠道があります、

その峠道の途中に場所はっきり覚えていませんが、さらに山頂へ向かう旧道がありました、

夕方仕事も一段落したので私は興味本位でその旧道へ車を走らせました。
コンクリートの打ちっ放しの旧道でかなり勾配があり細かったのを覚えています。

進むにつれて道は荒れ車一台がやっとでガードレールも無く車の横は崖のような状態になってしまいUターンも出来ないくらいになり緩やかなカーブを曲がると目の前には土砂崩れとブルトーザーが放置されていて、その奥に何件かの家がひっそりと建っていました、

家々の前は広大な山々の絶景でおそらく別荘村だったのだろうと私は思いました。

家々には人影もなくだいぶ年月がたっていたのでしょう廃墟となりひっそりと山の風景に溶け込み夕方の西陽を浴びていました。 

忘れ去られた家々に私は車を降りしばらくその場にたたずんでしまいました!ヒグラシの鳴き声が静かな晩夏の山に響いていたことを鮮明に覚えています! 

放射能の混じった雨に当たると禿げる

35 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[sage] : 投稿日:2003/04/13 13:31:00
小さい時、放射能の混じった雨に当たると禿げるという噂があった。 
雨が降ると毎回「これがそうかも」と、濡れないように必死になった。 



43 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[] : 投稿日:2003/04/13 14:39:00
>>35 
それって噂じゃなくて本当にあり得るのでは? 
昔、チェルノブイリ原発事故が起こった時、日本で雨が降った時に学校から 
「雨に濡れると危険なので必ず傘を差すかカッパを被るように」と言われたような...。 
実際、俺の友達が雨が降った時になんにも持ってなかったからずぶぬれになったんだけど 
そいつ、ちょっとだけ毛が抜けてた。 
思えば、チェルノブイリ事故って日本はたいした被害はなかったけど、風向きが違ってれば 
放射能が日本に流れてきてたらしい。 



44 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[sage] : 投稿日:2003/04/13 14:42:00
>>43 
ヨーロッパでは被害が酷かったらしいからね。。。 
日本も、北朝鮮や韓国で事故があったら確実に・・・ 

彼女は大学通うのに東京に引っ越してきた

542 : |∀・)[] : 投稿日:2003/01/31 14:01:00
コピペ
>>>
本人から聞いた話なんだけど、彼女は大学通うのに東京に引っ越してきたのね。
そこは新築のアパート。初日の夜から部屋で不気味な声が聞こえるんだって。
しかも毎晩。けどその彼女は新築だし、この部屋で過去になにがあったなんて
ある訳も無しと思って、気にしなかったのね。
そして数日たってある日、お酒を飲んで深夜帰ってきたんだって。
部屋カギを開けようとしたら誰かいる。部屋のなかに。足音がする。
すぐにその場を離れて近くのコンビニ(人がいる所)に行って、
そこから警察を呼んで一緒に自分の部屋に入りました。
しかし、誰かが物を触った形跡もない。前の住人がカギを持っているってこともなし。
結局、勘違いってことで収まったのね。警察が帰ってすぐに、隣に住んでいる
夫婦がやってきて、彼らの話。
・ここに住んでいるほかの部屋の人たちも深夜に
女の悲しげな泣き声らしにものが聞こえる。
・寝てると脇を誰かが通る気配がする。
・窓が開いてないのにカーテンが動く。
この夫婦は警察がくる前に隣の部屋で誰かの足音を聞いてたらしんんだけど、
いつものことだからその時、警察にはいわなかったんだって。
ただ、彼女が帰ってきて(足音)また出かけた後、
だれもこの部屋から出て行かなかったとだけ証言したんだって。
その夫婦はすでに退出届を出していてすぐに引っ越していった。
その隣も、下の階の住人も数名。
彼女は我慢してもう1ヶ月住んでたって。
住人達は前からこの話をよくしてたんだけど、
顔を合わすことが出来なかったから(帰宅が深夜なため)
教えることができなかったんだって。

水戸 赤沼処刑場での惨劇

水戸市東台2丁目は、元来赤沼町という町名であったが、赤沼町は赤い色をした沼があったのでそう呼ばれることになった。
 
ここに旧藩時代牢屋敷のあったことは誰でも知っている。

明治2年に廃された牢屋敷についての資料は、断片的に現存していても、詳しい事は分からない。

佐竹氏時代から桜町にあった牢屋を徳川初期にここへ移して4棟になった点だけは分かっている。

赤沼獄舎は町奉行の支配下にあって代々大右衛門を称する獄守がいた。
 
評定所で裁判の結果罪状が明白になると罪人は全てこの牢舎へ送られた。

四棟の牢舎は揚りや大牢、新牢、つめ牢の四つに分かれていたが、赤沼は元来湿地だから牢内はいつもジメジメしていて設備も悪く不衛生きわまるこの世の地獄だった。

明治二十年に死んだ久慈郡松栄村の学者綿引亨(号丈山)は、慶応二年入牢し「自筆堂記」を書いているが、それによると六坪の獄舎に二十四人の罪人が雑居し、入浴はさせず、洗濯もさせない。夜は無灯無枕、臭気ひどくて眠れなかったとその悲惨な生活を筆にしている。

藩末になると吉沼や吉田の刑場で行われていた磔や斬罪がここでも行われるようになった。
死刑囚は殺される朝は決まってサイの目に切った豆腐汁を食わされたので城下の町人達は明治、大正になっても、豆腐をサイの目に切ることを嫌い、首を切るときの音に似ているというので銭湯で濡れ手拭いの端を両手で持ちパッと音を立てて広げるのを嫌がった。

「水戸藩党始末」に、「蓋し水戸明答の獄たる、嘉永は弘化よりも苛に、元治よりも惨に、明治は元冶よりも虐なり」と書いてあるが、弘化、嘉永後の十数年は水戸城下は未曾有の恐怖時代を現出し、獄舎は毎日鮮血に染められた。

護国神社の合祀者名簿「水戸藩死事録」を見ても、安政から明治までの間に赤沼で牢死あるいは死罪になったものがざっと三百名はある。実際にもっと多かったに違いない。「討つもはた討たるるもはた哀れなり、同じ日本の乱れと思へば」武田伊賀守の辞世の通り、斬る者も斬られる者も日本人同士だったのだから時代も人間の頭もまさに異常だったのである。

獄舎のあとは現在根本常次郎さんの所有地だが、昭和十三年に根本さんはここに霊魂碑を建立した。

三本足リカちゃん[公衆便所編]

ある女性は喧嘩の不満を晴らそうと酒を飲み帰り道公園のトイレへ入るとそこには三本足で酷い状態で放棄されていた人形が…

酒の酔いもあり不満も込めて女性は笑いながら人形を何度も踏み潰した。

用を足し、手を洗っていると極度な目眩に襲われ倒れ込み
「私リカちゃん貴方も私を馬鹿にしたね」と耳元で声が…

ハッとなり人形を見ると生きているかのように三本足の人形が立ち上がり女性向かって引きずる用に歩いて来る…目が覚めると警察署の留置場…

朝方トイレで発見され警察署へ送られたらしく、そこであの事を思い出し、酔いしれて夢を見ていたのだとほっとした。

自宅へ帰ると玄関にはトイレで見たあの三本足の人形が…夢ぢゃ無かったの…?

良く見ると顔は自分にそっくりで生きているかのようでぞっとなりドラム缶へ投げ火を付け消去した…その日女性の家は火事になり全焼…

奇跡的に女性は助かったが人に見せられない酷い体になってしまったと言う…

鉱山病院跡地

今は取り壊されて恐ろしいことに高速道路の何かになっているようですが…。

当時聞いた話では、鉱山病院は本当に危ない所なので行かないほうがいい!と
言われましたが、心霊スポット巡りをしていた私達は行ってしまったんです。

6人中3人が見えてしまうという(私は見えない)
待合室のソファやらがそのままだったり、病院の雰囲気そのまま残して廃業になったのですね。
あそこは。

近所に団地もあり、そこは敷地に入れないようにしてありましたが、おもしろがって
入って行った男の子3人(見える子達)が叫んで戻ってきました。

階段で登って行こうとしたら、お札だらけだったらしいです。
一人が慌てて車で「帰るぞ!」と言い出して…。

どうやら上の階から3人くらいの方(生きてない方)が
こちらを見ていたそうです。

地獄の牛鬼

聞いたものが恐怖のあまり死んでしまうというこの世で最も恐い話、「地獄の牛鬼」

それはこういった話である。ほんとに死んだりは
しないので安心して欲しい。

江戸時代のあるところに作物を荒らす妖怪に悩まされている農民がいた。夜になると畑の作物が襲われる
という。その農民のもとに預言者を名乗る女が現れた。

農民の娘を夜中、海岸に妖怪の生け贄に捧げればもう悩まされずに済むというと女は去っていった。そこ
で農民は泣く泣く娘を生け贄にすることを決めたが腕の立つ侍を雇い、娘が危機になると助けることを条件に海岸に向かわせた。 

夜の浜辺で暗い海を眺めていると海からあの預言者の女がでてきて侍が斬り掛かるとその女は巨大な恐ろしい牛鬼に変化し侍の刀を食ってしまった。絶対絶命の時、どこからか別の刀が飛んできて牛鬼の眉間を貫いた。

実はその刀は侍の先祖が代々受け継いできた名刀だったのだ。

どこかの県ではこの話は昔話として今も語られていて牛鬼を退治したという刀が祭られているというが…

R団地

松戸市の南東部に在る梨香台団地では、あまりおおやけにはされないが20年くらい昔に、ある、凄惨極まりない殺人事件が起きた。

その事件とは、ある家庭で起きた事件で、その家の女の子がバラバラ死体になり、しかも自分の家の中で見つかるという。

あまりにも大きな謎につつまれた事件が起こり、その後に犯人が逮捕されたがなんとおどろくことにその犯人とは、女の子の実の父親(当時32歳)であり、挙げ句の果てに殴りつけて殺して死体ばらばらにして、その肉片お台所の生ゴミ処理の機械にかける。


という、あまりにも残酷な事件が実在におきた。

その異常な父は、逮捕された3日後に警察署内で、首吊り自殺して果てた。

ひとりさびしく母親は、夫の後追うように謎の死お遂げた。その後にその部屋には、新しく人が住んでも1週間以内になぜか引越ししてしまうらしい。

うわさでは、その家の押し入れの壁には不気味にも赤い血文字で、「おとうさん、おとうさん、いたいよ、。」と描いてあるそうだ。
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