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白旗塚のある小手指ヶ原は、元弘3年(1333)新田義貞が鎌倉攻めの時に鎌倉幕府軍と激戦を交わした場所であると伝えられている。

白旗塚の名称は、新田義貞が源氏の白旗をここに掲げたことから名づけられたそうである。

その合戦から約700年たった今でも、夜な夜な鎧を身につけた武士の亡霊たちが白旗塚の周りを彷徨っているという目撃談が多く語られている。

白旗塚は八幡太郎義家が奥州討伐の際、塚上に白旗を掲げて戦勝祈願したとも、陣所にしたとも言われている。

すぐそばに、討ち取った敵兵の首を埋葬したと言われる甲塚という塚もあったが、これは開発によって消滅している。

義家伝説とは別に、白旗塚には、「立ち入ると呪われる」といった伝説が江戸時代からあったらしい。余りにも祟りがヒドくて、誰も近寄らなくなったために、塚上にあった神社が廃絶してしまったんだそうな。

あと、足立の入谷にも白幡塚という似た名前の塚があるんだけれど、
こちらは岩槻攻めの際に白旗を掲げた場所と言われている。

岩槻攻めは戦国時代の話しで、岩槻城を攻めたのは、後北条氏か秀吉だけど、
どちらも白旗をシンボルとはしていないし、この塚上には元々八幡神社があった
そうなので、元は白旗塚と同じく、義家関係の伝説だったらしい。

白旗塚も甲塚も白幡塚も正体は古墳らしい。