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うちの家系はA家の者を目上として接し、A家の者がいると道に伏し 
道をあけなければならない決りが大正の頃まであった。 
また今は無縁のB家の者とは口を聞いたり目を合わせてはならない決まりもあった。 
今も残る風習は年に一度8月6日に菓子折りと供養代だが、A家に持ってゆき 
A家の人を上座に座らせ、A家の供養を行う程度である。 

うちの家系の家祖に当たるXという人物はA家に仕える一介の土豪だったが、 
C家という大名に引き立てられ家老として幕末まで続いた。 
その家老の家系がB家で、うちの家系とは色々あって異なる。 

戦国時代にXはC家に内通し元々仕えていたA家を騙し討して一族郎党、 
その家臣の女子供も残らず皆殺しにして死体を晒し者にした。 
自身は生き延びたふりをし降伏せねばC家に皆殺しにされると言いふらし 
恐れた周辺の諸領主が一斉にC家に降伏し一兵も使わず国の半分を獲った。 

この功績でA家の所領はXのものとなりC家藩祖から永代家老とされた。 
しかしXに子はなくC家の藩主の子を養子としたがこれにも子がなく 
新たに藩主の子を迎えたが主家乗っ取りを企て露見し自裁した。 
この為A家の呪いではないかと恐れられたが、藩祖の決めた永代家老の 
家なので潰すわけにも行かない。 

そこで不吉な家名を改めB家と名を変えて新たに跡継ぎを据えられた。 
Xの甥だか叔父の血筋、これが家の本当のご先祖だがこれに不吉な家名を 
名乗らせ、A家の遠縁のものを探し出しA家の寺を建てここの住職とした。 
そしてうちの家系はA家の家臣と誓約し、庄屋として収益の一部代々納め、 
B家はうちと絶縁する形が行われ、最初に上げた習慣が作られた。 
藩はその後転封となりB家とは物理的に縁が切れたが、A家とうちの家は 
土地に残って現在に至っている。