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少年は何も言わず前を歩いていく。

相変わらず周囲は鏡の世界のように真逆で薄気味悪く俺はただ少年の背中だけを見ていた。ふと、少年が立ち止まり振り向いた。 

そしてイタズラっこのような笑みを浮かべると、右足の靴の裏を見せてきた。 

俺は思わず吐き気を覚えた。靴の裏には潰れたバッタが二匹張り付いていた。 

「さっき、踏んじゃったんだ。まあ、影響は些細だからいいけどね」 

少年の意味不明な言葉の真意を聞きたかったが、そんな間もなく、彼は再び歩き出した。 

一時間ぐらい歩いてたどり着いたのは小さな病院だった。

小さいながらも看護師や患者や見舞いの客らしき人々が大勢いてだいぶ賑やかだった。

俺が案内されたのは集中治療室のような個部屋で、ベッドの上には中学生ぐらいの女の子が寝ていた。 

顔つきは全然似ていないが、死んだ妹のことがふと頭をよぎった。

両腕や頭には包帯が、顔には呼吸器が付けられ、危険な状態であることは容易に想像がつく。 

「どうしてここに連れてきたんだよ?」 

「・・・・・・」 

俺の問いに少年は黙っている。 

「この娘、どうしたんだ?」 

俺は思わず少年に訊いた。 

「怪我をしたんだよ」 

「それはわかるよ、どうしてなんだよ」 

彼の要領を得ない回答に俺は少しイラっとした。やがて、彼は少しの沈黙の後口を開いた。 

「実である君が君自身を傷つけた。だから君の影であるこの子も傷ついたんだ」 

「はあ?」 

「実と影は紙一重。まるでコインの裏と表のように重なり合い、影響し合っている」 

彼はさらに言葉を続けた。俺は説明が苦手でわかりにくいかもしれないが、覚えている限りの言葉をまとめるとこうだ。

俺のいた世界をAとし、そこは実と呼ばれる生物が存在している。
 対して今俺のいる世界をBとし、そこは影と呼ばれる生物が存在している。Aの世界の実は必ずBの世界の影の一つとリンクしていて互いに影響し合っている。
 
例を挙げるなら、Aの世界の何の変哲もない実の男性がBの世界の影の女性とリンクしているとする。実である男性が交通事故で大怪我をすれば、影の女性も何らかの影響を受け大怪我をする。 

その結果、実である男性が死ねば影である女性も死んでしまう。逆もまた然り。しかし、同じ生物同士がリンクし合っているわけではなく、人間と虫、人間と植物という組み合わせも有り得る。

(Bの世界の影である雑草が草むしりか何かで抜かれてしまえば、 
そいつとリンクしているAの世界の実の人間がコロッといってしまうという話もあり得るらしい。 

実と影はリンクし合っていても、当然空間的に隔離されており、同じ空間にいても決して交わらない。 

それで俺は何の因果か影の世界に迷い込んでしまったらしい。 

彼の話を聞き終えた俺は頭がこんがらがりそうだったが、やがてひとつの結論にたどり着いた。 

「おまえのさっきの口ぶりからすると、もしかして俺とリンクしている影はこの子なのか?」 

「そうだよ、あっちの世界で君が死にかけてるからこの子も死にかけているんだ」 

彼は一切表情を変えず淡々と語る。すると突然彼女の様態が急変した。呼吸が乱れ、とても苦しそうにベッドの上をのたうちまわっている。

再び妹の姿が頭をよぎった俺は廊下に出て助けを呼びに行こうとした。しかし、病院に入ってくるときとは打って変わって人っ子一人いない。それにも構わず、俺は大声で走り回って助けを呼ぶ。
 
しかし、院内には誰もいない。ふと気づくと、俺は実であり影の世界のこちらに影響することはできない、つまり助けを呼ぶことができないということに気づいた。

「助けたい?」 

突如後ろから声がしたので振り返ると、背後に少年が立っていた。すると、頭の中に突然少女の姿が浮かんできた。少女の顔は歪み、やがてぴったりと妹のイメージと重なった。

俺は少年に向き直った。 

「どうすれば助かる?」 

「簡単なこと。彼女の実である君があっちで息を吹き返して回復すればいい。お互いにリンク しあってるんだからね。影のこの子が死んでいないということは実である君もまだ生きているってことさ。
まだ間に合う。僕にできるのはそのためのちょっとした手伝いぐらいなんだけど・・・」 


「よくわからないけど、この子が助かるんだな」 

「それは君次第だね」 

俺たちが話しているあいだにも少女の様態はどんどん悪化していってるようで、廊下の向こうからものすごい悲鳴が聞こえた。

次の瞬間、俺は思わず少年の肩に掴みかかった。 

「なんでもいいからやってくれよ!」 

「もうあんなことしない?」 

あんなこと・・・それが何なのかは聞くまでもなくわかった。

俺は少し黙って口を開いた。 

「ああ、もう自殺なんてしないよ。妹の分まで強く生きてくからあの子を助けてくれ」 

「今回だけだよ。あと、あの子が助かるかどうかは君次第だからね」 

少年がそれを言い終えた瞬間、俺の意識は急に遠のいていった。 

次に意識が戻ったのは病院のベッドの上だった。雑木林で首をくくって数分後、犬の散歩をしていた男性にすぐに発見され、危険な状態であったもののどうにか息を吹き返せたようだった。

窓の外の景色は知らない場所だったが、逆文字ではない看板が元の世界に戻ってきたことを証明していた。 

目覚めてしばらくは、あれは夢だったのかと思っていたが、入院生活中に読んだ新聞に考えを改めさせられた。

意識を失っている数日間のうちに、二人のサラリーマンの怪死事件があったそうだ。顔写真を確認したところ、彼らはあの夜俺に暴行を振るった酔っ払いに間違いなかった。
 
二人は全く別の場所にいたにもかかわらず、全く同じ怪死を遂げていたそうだ。周囲に何もないのに上から何かに踏まれたかのように潰れて死んでいた・・・と。 

俺の頭には少年が踏み潰した二匹のバッタが思い浮かんだ。

偶然にしては出来すぎているし、ぼんやりとだがあの世界は夢ではなかったと思うことにした。彼らはバッタとリンクしていたのか。 
今でもあの少年の言葉が頭に引っかかっている。 

『まあ、影響は些細だからいいけどね』 

あの少年は一体何を言いたかったのだろう。

その後、俺はなんとか退院して大学を卒業し、それから数年かかったものの無事に仕事にありつくこともできた。

しかし、社会人生活は思った以上に大変でハッピーエンドとはいかず、「妹の分まで強く生きる」という自分の言葉が頭をよぎっても、最近は、あの時死んでしまっていたらどんなに楽かと思わないこともない。

そんな俺の意思に応えるかのように、最近原因不明の胸の痛みに襲われている。こう、心臓が締め付けられるような感じの。

もしかしたら俺の影であるあの少女がまた死にかけているのかもしれない。あんな大口叩いた建前、あの子には悪いけど今となってはなるべく早めに死んでほしいとすら思ってる。

死ねば全てから解放されるし、また妹に出会えるかもしれないから。どんなふうに取り繕っても、結局俺にとっては妹が全てだった。妹がいなけりゃ生きていけない。
 
そういうことなんだろう。相変わらず胸の痛みは続いており、日に日に激しさを増している。 

最近じゃ日に一回程度、血を吐くようになった。病院に通っているが、原因はわからないとのこと。 

俺ももう長くないんだろうなと思う。まあ、もうすぐ楽になれそうだし悪い気はしないけどさ。 

あの少年は一体何者だったのだろうか? 

まあ、もしかしたら近いうち再会するかもしれないな。