38 : 闇の中 1/10  ◆XnSHXsXstA [sage ワニ] 投稿日:2008/08/10(日) 01:28:39 ID:RNXuQ3vQ0 [1/10回(PC)]
師匠は一体誰を殺したのか 
というのも俺の長い疑問だった。 
もちろん殺してなんかいないのかも知れないけど、 
師匠には独特の暗さがあって 
俺は人を殺したことがある人なんて(たぶん)見たことがないが 
その暗さをなぜか師匠が人を殺しているという噂の裏づけのように感じていた。 

夏休み、師匠に呼び出されてサークル部屋に行くと 
師匠が古い縄を持ってぼんやりしていた。 
俺はその縄を見たことがあるような気がした。 
「何の用ですか」 
「キャンプに行かないか」 

相変わらずいきなり何を言うんだろうと思ったが 
なんと師匠にしては珍しくちゃんとテントを手配しているらしい。 
師匠と俺は比較的近くにある山に 
師匠の調達したテントと俺が仕方なく揃えた水や食料や寝袋を持って車で行くことになった。 
中腹あたりに一般に開放されているキャンプ場がある。 
俺たちはそこに車だけを置いて2時間ほど山道を登り、 
下草を勝手に踏み均してやや平らな場所にテントを張った。 
師匠は俺がテントを張っているのを手伝いもせずに 
周りにある木を眺めていた。

 
39 : 闇の中 2/10  ◆XnSHXsXstA [sage ワニ] 投稿日:2008/08/10(日) 01:29:26 ID:RNXuQ3vQ0 [2/10回(PC)]
師匠の荷物はやけにでかかったが、どうやらキャンプの道具ではないようだった。 
テントをなんとか張り終えると師匠は一言「おつかれ」と言って 
さっさと一人中に入り、その荷物を解き始めた。怒る気にもならない。 
「なんでキャンプなんですか」 
師匠は答えずにでかいリュックの中から部室で見た古い縄を取り出した。 
続いて蝋燭、そして石ころ 
「石ころ?」 
それでも返事は返らなかった。黙々と荷物を取り出している。 
大きなのみと、金づち。クリーム色のタオル 
この人は一体何をするつもりなんだ? 
師匠は古びた縄をテントの周りにきれいな四角になるように木に三重に張り、 
張り終えると呟くように 
「ひとひろ、ふたひろ、みひろ半」 
と言った。 
「何ですかこれは?」 
まだ午後5時を回ったところで、真夏だったのにすでにあたりは暗くなっていた。 
山の空気は冷たく、虫のぷうんという嫌な羽音が耳を掠めていった。 
かえるや鈴虫がそこかしこで鳴き始め、蝉が気づいたように鳴くのを止めた。 
「縄を絶対に切るなよ」 
師匠はそれだけ言ってテントに入り込み、 
勝手に俺の荷物からランプを取り出して点け、缶詰を開け、水を飲み始めた。 
説教をする気にもならなかった。 



40 : 闇の中 3/10  ◆XnSHXsXstA [sage ワニ] 投稿日:2008/08/10(日) 01:30:49 ID:RNXuQ3vQ0 [3/10回(PC)]
夜が更けた。 
虫の声が依然として聞こえていた。人や動物の気配のまるでない夜だった。 
山の中の夜なんてそんなものなのかもしれない。山の中に俺と師匠しかいないみたいだ。 
師匠がおもむろに起き上がって持参の蝋燭に火を灯し、 
ランプを消した。 
「やるぞ」 
「だから何をしに来てるんですか。ちょっとは教えてくれたっていいじゃないですか」 
「この石」 
師匠は左の手でリュックから取り出した石を示した。 
そしてそれを床に置くと、のみをど真ん中に当て 
金づちを思い切りそののみの尻に叩き付けた。 

石は見事に真っ二つに割れてしまった。 
師匠はゆらめく蝋燭の明かりの中で、口元だけでにやりと笑い 
「この石、御神体なんだ」 
と言った。 
「は?」 
「ふもとにある祠から取ってきた」 
「何でそんなことするんですかっ」 
その時蝋燭の明かりがふっと消えた。 
「お前が暴れるから消えちまった。それとも来たのかな」 
「え」 
真っ暗だった。ランプを点けようと思った。 
懐中電灯だって持って来ていた。 
「ひひひひひ」 
「師匠?」 
「入ってくるのか?」



41 : 闇の中 4/10  ◆XnSHXsXstA [sage ワニ] 投稿日:2008/08/10(日) 01:31:52 ID:RNXuQ3vQ0 [4/10回(PC)]
ほんとうのほんとうの暗闇だ。ものの輪郭すらわからない。 
自分の体さえどこからどこまでなのか。そして 

ここにいるのは本当に師匠なんだろうか 
「ひひひひひひ」 

一気に汗が噴き出した。明かりを点けなくちゃ。 
「来い、来い来い来い」 
師匠の声は低い声で繰り返し呟いていた。 
何を呼んでいるんだ 
「来い来い来い来い」 
知らないうちに俺の息が弾んでいた。呼吸がうまくできない。 
汗がつうと頬を流れ、あごから滴り落ちていく。 
何も来てなんかいない。師匠はきっとまた俺を 
妙な実験に付き合せて錯覚とかなんとかを体験させようとしてるんだ。 
何も来てなんかいない 
手が触れているものが一体懐中電灯なのか、 
ライターなのか財布なのか、全く見当もつかなかった。 
自分が何に触れているのかわからない。 
「来い」 
背筋がぞっとした。 
師匠がごくりとつばを飲む音が聞こえた。 
うそなんでしょう。師匠。いつもみたいに 
「特殊な環境による感覚の変化」とかなんとか言って 
俺をやりこめるつもりなんでしょう 
「来いよ。来いッ」 
「師匠!もうやめてください!」



42 : 闇の中 5/10  ◆XnSHXsXstA [sage ワニ] 投稿日:2008/08/10(日) 01:32:40 ID:RNXuQ3vQ0 [5/10回(PC)]
師匠が 
テントの中のいきものが動く気配がした。 
テントの入り口のファスナーが開かれる音 
冷たい、ぞっとするような山の風がテントに流れ込んでくる 
でもその開いているはずのファスナーの向こう側にも 
同じ密度の闇がある。境目がわからない。生き物が外に飛び出す 
「師匠!」 
「さあ!姿を見せてみろよ!」 
外の空気を浴びてふとあれだけ鳴いていた虫の声が聞こえないことに気がついた。 
ざわざわざわ 
風の音だけが聞こえる 
ざわざわざわざわざわ 
まるで風に取り囲まれてしまったみたいだ 
「来る」 
正面の暗闇から師匠の声が聞こえた 
何が。何が来るって言うんだ 
ざわざわざわざわざわ 
ざざざざざざざざざざざざ 

近づいて来ている 
「ひひひひひひひひひい」 

ぅぅぅうぅぅうぅううううぅぉぉおぉおおぉおおおおぉおおおおん 

ぅうぅうぅううううううぅぅぅぅぅぅううぉおおぉおおおおおおおおおぉおぉん 

「うわあっ」 

何も見えなかった。



43 : 闇の中 6/10  ◆XnSHXsXstA [sage ワニ] 投稿日:2008/08/10(日) 01:33:25 ID:RNXuQ3vQ0 [6/10回(PC)]
遠くから「音」がやってきて、風のような圧迫感と共に通り抜けていった。 
目をつぶったその一瞬、長い白髪のしわがれた男か女かもわからないひとが 
口を大きく開けて絶叫している映像が頭に浮かんだ。 
その「風のようなもの」が通り抜けてしまったとき、 
俺は地面にへたりこんで暫く立ち上がることができなかった。 
師匠は何事もなかったかのようにテントに潜り込むと 
自分のライターでランプに明かりをつけ、 
「あんなもんか」と一言だけ言ってすぐに寝てしまった。 
呆れてものも言えなかったと言いたい所だったが、 
俺は怖くて暑いのうざいのと言われながら頼み込んで師匠の寝袋に寄り添って寝た。


 
44 : 闇の中 7/10  ◆XnSHXsXstA [sage ワニ] 投稿日:2008/08/10(日) 01:34:04 ID:RNXuQ3vQ0 [7/10回(PC)]
朝起きると師匠が先に起きて縄を仕舞っていた。 
「これは何だったんですか?」 
「三途縄」 
「何ですかそれ?」 
師匠はめんどくさそうに顔をしかめたが、 
「これだからモノを知らないやつは」と言ってから教えてくれた。 
「マタギのまじないの一種で、魔除けの結界の一つだ。 
 黒不浄の紐を木に3重に張り巡らして呪文を唱えると 
 その紐の中には穢れたものは入ってこられないという」 
「はあ」 
「人がせっかく教えてやってるのに気のない返事をするんじゃないよ。 
 自分から聞いたくせに」 
「まさかと思うんですけど、その『結界』を確認してみるために…」 
「そうだよ。どうしたらそんなに都合よく『あちらさん』が 
 来てくれるか考えたんだ。こりゃ御神体でも割ってみるかと 
 でも普通に通り抜けていたな。これは駄目だ。 
 理想としては結界を境に対峙できる感じがいい」



45 : 闇の中 8/10  ◆XnSHXsXstA [sage ワニ] 投稿日:2008/08/10(日) 01:34:35 ID:RNXuQ3vQ0 [8/10回(PC)]
ひどい倦怠感にめまいを感じながら、 
俺は一人でテントを畳んだ。 
師匠は割ってしまった御神体の石を足で蹴って転がしていた。 
石はやがて草むらに埋もれてどこにあるのかわからなくなった。 
テントを畳もうと持ち上げると、クリーム色のタオルが挟まっていた。 
見覚えがあった。 
「師匠、これ師匠のでしょう」 
師匠は黙ってタオルを受け取って無造作にリュックに入れた。 
「なかなか来ないな」



46 : 闇の中 9/10  ◆XnSHXsXstA [sage ワニ] 投稿日:2008/08/10(日) 01:36:36 ID:RNXuQ3vQ0 [9/10回(PC)]
とても小さな声だったが、師匠は確かにそう言った。 
「もし」 
山道を息を切らせながら下っていると、 
師匠はまるで大学の廊下でも歩いてるみたいに何でもなく歩きながら 
俺に言った。 
「もし俺が死んだら、すごい悪霊になって出る」 
「はいはい」 
その話は以前にも一度聞いたような気がする。鳩に喰われて無くなってしまう前に… 
悪霊になって 
「お前はそうなったらどうする」 
「師匠が…化けて出てきたら…ですか?」 
「どこかお前の知らないところで」 
「へ?どういうことですか」 
「だから俺が死んで、どこかお前の知らないところで 
 ものすごい悪霊になっていたら」 
「う~~~ん」 
「…もういいよ」



47 : 闇の中 10/10  ◆XnSHXsXstA [sage ワニ] 投稿日:2008/08/10(日) 01:37:37 ID:RNXuQ3vQ0 [10/10回(PC)]
その話は結局それきりだった。 
でも妙に印象に残っている。 
俺は師匠が人を殺したのなら、 
自分を祟りに来てほしいと思うと思う。 
それは師匠の一連の無茶苦茶な行動にも繋がっている。 
師匠は「祟ってほしがっていた」んじゃないかということだ。 
師匠が誰かを殺したとして、師匠はその殺した相手が 
自分を見つけるのをずっと待っていたんじゃないか。 

俺が死んですごい悪霊になっていたらお前はどうする? 

師匠が消えてしまった今、俺にはこの問いに答えることはできない。 
ただ、師匠は待っていた。 
師匠が殺してしまった人は、怨霊になってからでも 
会いたい人だったんだろうな、と思う。