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デビューこそできなかったけど、とにかく鍛えてもらえた。 

実家にいると、ついついたらふく食べてデブってしまうのも改善されたね。 

上京したとき確か103kgくらいあった体が、68kgくらいになって、驚くほど筋肉質なイケメンに化けた。 

里帰りした時、母からこんなのうちの子じゃありませんとか冗談めかして言われたなあ。 

ひょっとしたら最初のファンもあの時にできたのかもしれない。案外おばけなんてないさが気に入ってたのかも。

21歳で、実家に戻ることになった。約束では25歳までは芸能界に挑戦していいって話だったんだけど、母が倒れたからしょうがない。 

実家は、老舗温泉旅館でさ。だから、歌には不自由しない生活だったんだ。小さい頃から業務用カラオケ常備の環境。 

ファミコンとかディスクシステムとかスーファミとかねだっても買ってもらえなかったから、ふるくっさいカセット式のカラオケ機がおもちゃ。 

そういうドーピングかかってても、やれたのは、地方局の提供のナレーションが二件と、ドサまわり系の劇団の隅っこでのアカペラが数件。 

報酬を貰わないタイプのJazzセッションとかはよく誘われて、本職の方との交流もさせていただいたりしたけど…。 

退去日は、寂しかったなあ。 

実家とのやりとりは、携帯ももってないような生活だったから、基本公衆電話ってかんじでさ。多分同居人(?)は知らなかったと思う。 

「実は今日、僕、田舎にかえるんだ」 

天井裏からずるんと昭和に流行ったワンレンミディアムなかんじの人が落ちてきた。古臭いセーラー服だったかな。

音もなく床に激突。で、ふわんと消えた。 

ちょっとだけみえた横顔はすっごく綺麗だった…ようにみえるけど案外目が離れてたりするんだよね。こういうののオチって。 

声はそれまでずっと聞こえなかったからね。わかってたのかな。 
たぶんあれはショックだって表現したかったんだと思う。しんみりとしちゃった。 

「でも、今は友達一杯いるから大丈夫。悪さしちゃだめだよ。また怖がられるし。 君は福の神様なんだから」 

で、アパートの他の住人で来れる人よんで宴会。 

ほろよい気分でいいかんじに号泣しながら、おばけだっているさ、おばけだってほんとさーと替え歌歌いながらアパートから去った。
 
ま、僕には僕の新しい生活がある、なーんてなだめながらね。 

で、実家戻って受験勉強という名の、おばけよりこわーい家庭教師つけられた地獄がはじまりましたとさ。 

ま、どうにか馬鹿じゃないと主張できるかもしれないくらいの大学にはいった。 

一部人気学部が偏差値65とったこともあるってくらいで、不人気学部は定員うまらないことも三年度に一年度はあるくらいのとこ。
 
…僕は、とても運が良かったよ。定員>受験者-辞退者だったからね。条件付き入学でした。

上京の時のようには、大学生活は上手くいかなかった。 

まず、一番問題になったのが、実家の熟練中居の息子さんと同期入学だったこと。 

自分もうちで働くつもりでいたらしくてさ。本人、悪気はないんだろけど、学内で坊ちゃんなんていうもんだから、ばればれ。 

噂がひろまってくと、そこから色々崩れてった。一番空気わるくなったのが部内。 

燃え尽きてないままに里帰りしたから、当然部活は軽音楽部に入ってた。 

ロックが音楽の中で最高峰。生き様もロックが最高っていう割に、かっるーいビジュアル系な三年四年のバンドがいたんだ。 

これに目をつけられちゃってね。 

何かというと、苦労も知らずに音楽やってるやつはカスだ、みたいな扱い。貧しさから音楽性は育つとかいうんだ。 

いっちょまえに苦労はしてきたよ、と言えたら苦労しないんだな。 
で、部内にただよいはじめたイジメの空気。君子危うきになんとやら。 

最初はおきまりのパシリから、苦労をしれって感じでね。 
それから、ちょくちょく、数の暴力で金は巻き上げられる。その金、バイトしてためたお金なんだけどっていってもうそつくなだってさ。 

中学のころのアダ名がブヨンドバッグだった位、イジメには弱いタイプだったんで、散々なめにあったよ。 

ま、やられっぱなしも癪だから、学祭の時に、その先輩方がへったくそなB'zのコピーやったので、曲目を突然変更して、女の子にもてたいだけの勘違い音楽と、プロ目指してた人間とのレベルの違いってのを一生懸命な拍手を歌い終わったあともらえる熱唱で見せつけた…んだけど短慮だったかも。 

なにせ、後夜祭のあと半ば拉致られて、お腹には紫色の痣が残るわ、目の周りは腫れあがるわってかんじでぼっこぼこにされたからね。 

後片付けの日は家でうんうん唸ってた。いたかったなあ、あれ。 
でもまあ、苦労せずにとか、絶対言われたくない言葉だったから、後悔はしてない。 

真面目に部活するより、取り巻きの女の子相手にしてるほうが長い人にだけは言われたくない言葉だからね。 

…これも言えたらよかったなあ。 

実際には、口止めされたがままに、怪我の理由をききとりにきた人に転んだと言うようなヘタレぶりだった。

二年になって、大分状況は改善した。 

新三年で部長になったのが、僕とコンビを組んでたタカオって、TMNの影響受けたDTMマニアなんだけどこれが就任直後部内の乱れた風紀を正すといってくれた。 

名指しはせずに、暴力沙汰が横行していたら、いつ部活が永久活動停止になってもおかしくないって問題提起。 

これがあると、相手動きづらくなるのよね。ほんと助けられた。 

釘指すように、部内でいかがわしい異性交友の噂もあるから、こういうのも気をつけてほしいと。 

それでもかげで、ぶんなぐられたりってのはあったけどね。 

一番マシだったボーカルが抜けて、音痴のボーカルしか手元に残ってなかったから、ますますレベルの違いが浮き彫りになって、相当苛立ってたみたいだし。 

とはいえ、金巻き上げられるのはぴたりととまったから、それが有難かった。 

ま、因果応報っていうのかな。 

ドラムのセンパイは、バイクの事故で利き手の指を粉砕して、一時バチ握れなくなった。 

リハビリ後も前よりよくハズす腕前にグレードダウンしてたけど。ノリすらなし。 

それで本格的にバンド活動休止になって、たまにしか姿みせないようになったっけ。 

三年になったら、ほんと別世界。もう、センパイ方は居ない。 

ま、見て見ぬふり決め込んでたのと交流がうまくいくかっていったら、そうじゃないけどさ。 

二年間障らぬなんちゃらにたたり無しーでやってこられて、今更こえかけて来られても困るしね。 

でも、新入生相手には、面倒見よくしていたら、そっちで部内で良い具合に交流がつくれていった。 

なんでそんなに上手なんですかって言われることも多かったので、上京して挑戦してた頃のこと言ったらプロのトレーナーについてたのが相当凄いと思われたらしく、ほんとあれこれと相談受けるようにもなった。 

ようやく、僕の大学生活ははじまったなあ、というかんじになった。 

代わりに、タカオとの別れを経験したけどね。学業も忙しくなって、部長業務あるから、DTMのための時間とれなくなったとコンビ解消。 

ま、アカペラで、Fly me to the moonとか、愛の讃歌歌ってられるだけで幸せだったし。 

幸い、自分のバンドの分以外に、僕と即席で組んでくれる相手にも、新入生限定でならことかかなかったから、他大学を招いてのセッションとかもどうにかこなせてたっけね。