133 : もういいかい  ◆oJUBn2VTGE [ウニ] 投稿日:2010/08/29(日) 21:50:06 ID:zEqctehg0 [9/16回(PC)]
僕は師匠の後ろに控えたまま、困ったような興奮してきたような複雑な気持ちで事態を見守っていた。 
何度かのやりとりの結果、数十年前にこの集会所が出来る前には、この敷地は近所の工務店の資材置き場に使われていたということが分かった。 
その頃、工務店を手伝っていたという初老の男性がたまたまその中にいて、「地下になにか埋めるようなことはなかったと思う」と言った。 
実直そうな物言いではっきりそう告げられると、なんだかもう手詰まりな感じがしてしまったが、次の師匠の問い掛けで空気が一変した。 
「その資材置き場の頃に、気持ちの悪い声の噂はありませんでしたか」 
初老の男性は、目を剥いて驚きの表情を浮かべた。そして今、重要な事実に気づいたように絶句した。 
「……あった」 
ええっ? と周囲からも驚きの声が上がる。 
「いや、言われて思い出したんだが、確かにあった。そうだ。ヨシミツさんも聞いたと言って怖がってた」 
本人も今の噂と若き日の体験談が結びつくことにはじめて思い至ったようで、頬が紅潮していた。 
「どんな声を聞いたんです」と師匠が畳み掛ける。 
初老の男性は、「いや、自分は聞いたわけじゃないが」ともぐもぐ言ったあと、「夜、子どもが遊んでいるような声がする」という怪談じみた話が従業員たちの間に広がっていたことを話した。 
なんだこれは。集会所の建て替えどころの話じゃない。いったいどこまで遡るんだ? 
話の行く末にドキドキしていると、師匠がさらに畳み掛ける。 
「資材置き場の前は、ここにはなにが?」 
この問いにはなかなか即答できる人が現れなかった。やがておずおずと六十歳くらいの女性が手を挙げて、「松原さんの地所だったはずです」と言った。 
その言葉に、「そう言えば」という声があがる。だが、直接当時を知る人は誰もいなかった。かなり古い話なのだろう。 
「こりゃあ、うちの年寄りを連れてこにゃあ」と言って妙に嬉しそうにこの場を離れる人がいた。 
師匠はもう一度地面に這いつくばり、コンクリの地面をコンコンと叩いたり撫でたりしながらなにかを感じ取ろうとするように目を閉じたり開いたりを繰り返していた。

 
 
134 : もういいかい  ◆oJUBn2VTGE [ウニ] 投稿日:2010/08/29(日) 21:55:33 ID:zEqctehg0 [10/16回(PC)]
やがて八十歳は超えていると思われる女性が息子に連れられてやってきた。夜の九時を回ろうかという時間に急に外へ連れ出されたにも関わらず、泰然自若として足取りも落ち着き払っていた。 
師匠は身体を起こし、そのおばあさんに向かって訊いた。 
「ここには松原さんという方の家があったんですか」 
「ええ、ええ、ございました」 
「戦前ですか」 
「ええ、日中戦争の前に家を引き払いまして一家揃って隣町へ引っ越されました」 
「ではまだ松原さんがここにおられた頃に、家を訪ねられたことは?」 
おばあさんの丁寧な口調に自然と師匠の口調も改まっている。 
「ございました。私と一つ違いのやよいさんというお姉さんがおりまして、よく一緒に遊んでおりましたので」 
「その頃、今のこのあたりは松原家でいうとなにがあった場所でしょうか」 
この問いには答えられず、小首を傾げた。 
「地下室、もしくは防空壕のようなものは?」 
続いての問いにも記憶が定かでないらしく、かぶりを振るだけだった。 
「では……」 
師匠が一瞬、舌なめずりをしたような気がした。 
「このあたりに浄化槽、いや、便槽はありませんでしたか?」 
おばあさんは、あ、という顔をした。 
「当時はもちろんボットン便所でしたが、確か玄関からこちらに向かったところにあったような気がします」 
「ここが大事なところなんですが、どうでしょう。その家で、誰かいなくなった人はいませんか?」 
いなくなった? 
最初は「亡くなった人はいませんか?」と訊いたのだと思った。しかし師匠は確かに「いなくなった人はいませんか?」と訊いたのだった。 
行方不明になった人ということか。 
おばあさんは、記憶を辿るように伏目がちに小さく頷いていたが、やがてほっそりした声で「ちえさん」と呟いた。



137 : もういいかい  ◆oJUBn2VTGE [ウニ] 投稿日:2010/08/29(日) 22:07:16 ID:zEqctehg0 [11/16回(PC)]
「やよいさんには、二つか三つ年下の妹さんがおりました。今はなんと申すのでしょうか。その……知恵遅れの子でした。いつもやよいさんの後ろをついてまわって、おねえちゃんおねえちゃんと、傍から見てもそれはそれは懐いておりました。 
やよいさんも知恵遅れの妹を心配して、あれこれと世話をやいていたのを覚えております」 
「いなくなったのは?」 
「さあ、それが……」 
おばあさんは困ったような顔をして、懸命に記憶を呼び覚まそうとしていたがどうやらはっきりと分からないらしかった。 
分かったことと言えば、その松原ちえという女の子が恐らく十歳を過ぎた頃、ある日急に姿が見えなくなったということだった。 
「どこかにもらわれて行ったか、どうかしたのだと思うのですが」 
子ども心にも大した事件ではなかったということか。それとも姉のやよいさんと仲の良かった娘からすれば、その姉にべったりの妹はむしろお邪魔虫であり、ある日急にいなくなっても心配するようなことはなかったのだろうか。 
「松原ちえ」 
師匠はゆっくりと呟いてもう一度地面に這いつくばった。 
コンクリに額をぴったりとつけて、目を閉じる。 
「ちえ」 
もう一度そう呟く。その瞬間、僕にも分かった。さっき、玄関で『もういいかい』と聞こえた時にこちらの方角から感じた気配のようなものが、足元からじわじわと湧き上がってくるのを。 
足先が重くなっていく。ずぶずぶとコンクリの中に靴がめり込んで行くような錯覚を覚える。 
「チャンネルが、合った」 
ぼそりと師匠がそう言う。そして「おまえは?」と訊く。僕はかぶりを振る。師匠が言うのは、僕が今感じている程度の感覚ではないのだろうから。 
這ったまま師匠の左手が差し出される。僕はそれを躊躇いがちに握る。 
その瞬間、自分の視界に被るように別の視界が開けた。ノイズのようなものが走り、不鮮明だが、笑っている女の子が見えた。十代前半だろうか。着物を着ている。 
その子が木の幹に向かって顔を伏せた。 
なにか言っている。 
数だ。数をかぞえている。 



139 : もういいかい  ◆oJUBn2VTGE [ウニ] 投稿日:2010/08/29(日) 22:12:06 ID:zEqctehg0 [12/16回(PC)]
視界が動いた。木と女の子に背を向けて、走り出す。途中で茂みを掻き分けようとしていたが、諦めてまた走る。呼ぶ声。返事をする。家が映る。古い木造家屋。その縁側を回り込む。隣の家の垣根。そのそばに井戸。小さな離れのような建物が見え、木戸が風で揺れている。 
また呼ぶ声。返事をする。視界がしゃがむ。木戸の傍に頑丈そうな板が地面に埋まっている。それを苦労しながら取り外す。中を覗き込む。暗い。 
視界が振り返る。家と垣根の間、その向こうにはまだ人影は見えない。 
地面に開いた穴に視界は滑り落ちていく。 
臭気。 
腰まで汚泥のようなものに浸かる。暗い。上を見ると、丸い穴から空が覗いている。 
呼ぶ声。今度は小さな声で返事。見つからないように。 
時間が過ぎる。 
探す声。 
やがて遠ざかる。 
さらに時間が過ぎる。なんだか楽しい気分。 
空から声。なんだ、危ないな。開いているじゃないか。 
丸い穴から見下ろす男の顔。驚く。眉間に皺。 
視界は半月になる。笑いかけているのだ。 
ますます険しくなる男の顔。震える頬。短い時間の間に、複雑な変化をして、そして穴から離れる。 
次に丸い空の穴から男が見えた時、その手には大きな石が握られていた。 
打ち下ろされる手。 
衝撃。赤く染まる視界。暗転…… 

ハッと我に返った。 
師匠は左手を引きながら、見えたか、と訊いてくる。こんなことができるのは、最近知ったことだった。 
僕よりも師匠の方が遥かに霊感が強く、師匠に見えて僕には見えないということが多々あったのだが、そんな時に師匠の身体のどこかに触れていると、どういう効果なのかほぼ同じレベルで見えてしまうことがあったのだ。 
交霊術などで、参加者同士が手を繋ぐのと同じことなのだろうか。 
周囲にざわざわした空気が戻ってくる。僕らを奇異の目で見つめる人々に師匠は向き直った。 
「この下に、松原ちえさんが埋まっています」 
剣呑な言葉に驚きの声が上がれば、「やっぱり」というような声も上がった。そして半分以上は疑わしげな声。