141 : もういいかい  ◆oJUBn2VTGE [ウニ] 投稿日:2010/08/29(日) 22:14:43 ID:zEqctehg0 [13/16回(PC)]
姉とかくれんぼをして遊んでいる最中に、便槽に隠れたちえさんと、偶然それを見つけてしまった父親。そしてどういう心理が働いたのか、衝動的に娘を石で打って殺してしまう。 
それからは恐らくだが、便槽をコンクリかなにかでそのまま埋め立て、ちえさんはいなくなってしまったことになった。 
訥々と語った師匠に、頷く人もいれば胡散臭そうな顔を隠さない人もいる。しかし当時の松原ちえを知るおばあちゃんは涙を浮かべて言葉を発せない状態になっていた。 
「じゃあ、集会所で聞こえた気持ちの悪い声は、そのちえさんが?」 
誰かが言った言葉に師匠はかぶりを振った。 
「私たちが聞いたのは、もういいかい、という言葉でした。ちえさんは隠れる側でした。だから、ちえさんなら『まあだだよ』もしくは『もういいよ』と返すはずです」 
そうだ。もういいかい、は探す側の言葉。探しているのは誰だ? 
「やよいさんが……」 
おばあさんがようやくそれだけを言った。ハンカチで涙を止めようと目元を赤くしている。 
松原やよいが、ある日かくれんぼの最中に急にいなくなった妹を探して今も彷徨っているというのか。その魂だか思念だかで。 
胡散臭げだった人々も、気味の悪い怪談から人情話になりそうなせいか、納得したような雰囲気になってきた。確かに現にそんな気持ちの悪い声の噂が広がっている以上、これは落とし処としては取っ付き易いのだろう。 
しかし僕は、最初に師匠が言っていた「言葉は発していたが、人間的なものを感じなかった」という言葉が引っ掛かっていた。そこまで言うのであれば、単純な霊などではないはずだ。 
俄然井戸端会議になってしまった場所で、それぞれの雑談の波を越えて師匠はまだ涙を拭いているおばあさんに話しかけた。 
「すみません。あと一つだけ。隣町へ引っ越した後、やよいさんはどうされました」 
「……結婚されてどこかへ行かれていたはずですが、二十年くらい前に旦那様と死に別れて隣町へ戻ってらっしゃいました。 
その後は私ともまた往来がございまして親しくしておりましたが、確かあれは五、六年前だったかと思いますが、胸を悪くして入院先の病院で亡くなりました」 
「五、六年前」 
師匠はそう呟くと、違う、というように首を振った。 
「オッカムの剃刀だ」と僕に耳打ちする。

 
143 : もういいかい  ◆oJUBn2VTGE [ウニ] 投稿日:2010/08/29(日) 22:20:53 ID:zEqctehg0 [14/16回(PC)]
「いいか。声が聞こえるという噂は、やよいさんの存命中からあった。では生霊か? 生霊になってまで昔いなくなった妹を探していたというのであれば美談だが、本人は隣町に住んでいるんだ。 
生身で来ればいいんだから、わざわざ生霊になる必要もない。では昔妹がいなくなったことを普段は忘れているかほとんど認識していないとして、夜眠っている時にだけそれを思い出し、魂が肉体から離れて隣町から探しに来ているのか。 
そして五、六年前にやよいさんが死んだ後も、今度は死霊となって以前と変わらない現れ方で妹を探し続けてる?」 
師匠の囁きを聞いているとなんだかややこしくなってきた。 
「生霊から死霊へそのまま引き継がれる怪異なんて聞いたことがない。それ以外にもめんどくさい前提が多すぎる。オッカムの剃刀というのは哲学だか論理学だかの言葉でな、ある現象を同じ程度にうまく説明する仮説があるなら、 
より単純な方がより良い仮説である、っていう金言だ。私なら、こう仮説するね。『もういいかい』と言って探しに来ているのは松原やよいではない」 
それはただの反論で仮説ではないでしょう。 
そう返そうと思ったが、ぞくりとする悪寒に口をつぐんだ。 
では一体なにが松原ちえを探して集会所を彷徨っているというのか。 
僕らを無視してざわざわと思い思いの会話をしている人々の中で、師匠はゆっくりと考えをまとめるようとするように呟く。 
「子どもなんだ。かくれんぼをしていた子ども。探しにくるはずの鬼。なかなか見つけてくれない。わたしはここにいるのに。ここに。この地面に下に。そうか。遊び相手だ。遊び相手がいない子どもはどうする? 孤独の中で架空の遊び相手を作る。 
イマジナリー・コンパニオンだ」 
師匠の独り言を聞いて僕も思い当たった。イマジナリー・コンパニオンは幼児期に特有の空想上の友だちのことだ。 
しかし。 
本来それは本人にしか見えないし、知覚できないもののはずだ。 
「いや、触媒があれば、混線するように他者が知覚することもありうる」 
経験があるのか、師匠はそう断言する。 
「触媒って……」 
問い掛ける僕に、師匠は地面を指さす。「本人だ」



145 : もういいかい  ◆oJUBn2VTGE [ウニ] 投稿日:2010/08/29(日) 22:22:48 ID:zEqctehg0 [15/16回(PC)]
松原ちえの霊魂だか、残留思念だかを通して僕らにも彼女の架空の遊び相手の声が聞こえるというのか。この世にはいない、架空のかくれんぼの鬼の声が。 
一体それはどんな姿をしているのだろう。 
想像しかけた。 
師匠の表情が変わる。「しまった」と口元が動く。 

『もういいかい』 

聞こえた。確かに聞こえた。またあの声が。 
周囲を見たが、反応しているのは僕と師匠だけだった。みんなお喋りに夢中だ。しかし異常なものはなにも見つからない。 
夜空や集会所の壁、台所の窓、プロパンのボンベ、そして地面を順番に見回すがなにも見つからない。 
しかしゾクゾクと背筋の毛が逆立つ。なんだ。異様な気配。どこからともなく異様な気配を感じる。 
まあだだよ、と言ってしまいたくなるのを必死で堪える。 
師匠は脂汗を浮かべて目を剥いたまま俯いている。息が荒い。 
「いま、わたしに、触るなよ」 
それだけをようやく搾り出すように呟く。 
口元が声にならない言葉を紡いでいた。僕はそれを読み取る。チャンネルが、あっちまった。と、そう言っている。 
師匠には見えている。 
胸が脈打つ。想像しまいとする。なにを想像したくないのか。もちろん、いないはずのかくれんぼの鬼。十歳そこそこの、知的障害を持つ少女が、父親に石で打ち殺された少女が、 
そのまま地面の底に埋められた少女が、ずっと誰かがみつけてくれるのを待ち続けるその少女が、空想で創りあげた鬼。夜な夜な集会所を彷徨うなにか。 
ああ、想像しまいとして、想像してしまう。思考が止まらない。 
やがて、数分にも、数時間にも思える時間が過ぎ去り、硬直した肩を師匠が叩いた。 
「もう消えた」 
かくれんぼの鬼をやりすごすには、じっと息を殺して耐えるしかないということを今さら思い出す。 
師匠の顔色は蒼白になっている。一体どんな恐ろしいものを見たのか。



148 : もういいかい ラスト  ◆oJUBn2VTGE [ウニ 今夜は終わり] 投稿日:2010/08/29(日) 22:24:12 ID:zEqctehg0 [16/16回(PC)]
顔を上げた師匠は慌しく、そこに集まった人々に向かって「今日はもう解散してください」と言った。 
そして明日以降、なるべく早くこの下を掘り起こして遺体を見つけ、丁寧に弔ってあげてくださいと。 
集まった人々がガヤガヤとそれでもなんとか全員帰ってくれた頃には夜の十時を過ぎていた。最後に残った鎌田さんに師匠は言った。 
「もしこの下から遺体が出てきても、警察には私のことは言わないで下さい。地区で井戸を掘ろうとしたとか、なにか適当なことを言って上手く誤魔化して下さい」 
「はあ」 
反応が鈍い鎌田さんに念押しをする。大事な所だ。警察に目をつけられるとやりにくくてかなわない。今回のケースは古い話なのでまだいいが、彼らは犯人しか知りえないことを知っている者はとりあえず犯人と見做して対応するものだから。 
「それから……」 
師匠は少し言いよどんでから、「できたら」と続けた。 
「みいつけた、と言ってあげて下さい」 
鍵を返しながら、軽く頭を下げた。