448 : 本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 21:29:20.74 ID:ea7+1LKs0 [1/5回(PC)]
本家の洒落怖を読むといろいろと奇妙な地方の風習が出てきますが、 
わたしも子どもの頃に土地神への捧げものとなった体験があります。そのときのことを書いてみます。 
わたしの住んでいた所は今は合併で市の一部になりましたが、 
約三十年前の当時からすでに過疎の進んだ山村でした。 
秋祭りにしては遅い十月の初めに「おさっしゃ」と呼ばれるお祭りがありました。これは漢字にすると 
どの字を当てるのか未だにわかりません。これが正式な名前なのですが、村の大人達は里にいるときには 
このお祭りのことを「おかえし」とも呼んでいました。 

里からやや外れた山中まで四百段ほどの丸木を据えた山道が続き、古いお社があります。 
そこは二間四方ばかりの小さな社殿一つだけで、ここ何十年も改築などされておらず、 
柱などはそうとうに傷んでいました。ご神体は社内にはなく背後の深い山々がご神体そのものであるようでした。 
当然、神職も常駐してはいません。社の前は草木が刈られて小さな広間となっておりましたが、 
そこに神職はじめ村の主立った者が集まって土地神へ捧げるお祭りをとり行うのです。 


449 : 本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 21:29:46.80 ID:ea7+1LKs0 [2/5回(PC)]
そのときに社前で舞を舞う男の子が一人おり「にしろ」と呼ばれていましたが、これもどのような漢字を当てるかは 
わかりません。そして次の年の「にしろ」にわたしがなったのです。 
「にしろ」は前年の祭りが終わった十二月に十一歳の男の子の中から選ばれます。自分で言うのもなんですが、 
「にしろ」に選ばれるのは、顔立ちの優しい体つきの華奢な子です。そして選ばれたその日から「にしろ」は 
女の子として育てられます。髪を伸ばし、女の着物を着て村長のお屋敷の一間を借りて過ごします。 

学校へはその一年は行きません。義務教育なので行かなくてはならないのですが、村立小学校でも問題にはせず 
一年間欠席扱いです。そして学校の勉強をしない代わりに、お祭りで舞う踊りを習います。神職が笙の笛、古老がひちりき 
などを担当し、陽気ではあるものの現代の音楽に比すればずいぶん間延びした曲を演奏します。生まれつき鈍かったわたしは 
習い覚えるのにずいぶんと苦労したことを思い出します。村長のお屋敷から外に出ることはできませんが、毎日のように 
両親や祖父母が会いに来てくれました。ただ学校の友達とは会うのを禁じられていたため、それは寂しく感じました。 



450 : 本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 21:30:10.05 ID:ea7+1LKs0 [3/5回(PC)]
早いもので一年が過ぎ、「おさっしゃ」の前日となりました。この頃には家族との面会もできなくなっていました。 
髪はもう肩の辺りまで伸び自分で鏡を見てもまるきり女の子でした。その日は水垢離をして眠ります。 
いよいよ当日となれば、朝から薄化粧を施されます。昼中は村は農作業をするものもおらず、平日でも学校も昼には終わります。 
お神輿などの神事は特になく村人の多くは提灯を掲げたりして家でお祀りをしています。神職達はこまごまとお祭りの準備をします。 
わたしは昼時に神餅を少し食べさせられただけです。そして夕暮れになると巫女のような着物を着せられた「にしろ」は 
「にご」という竹で編んだ大きな鳥籠のようなものに入れられ、丸木を組んだものの上に乗せられ男衆二十人ほどに担がれて 
かけ声と共に山道をお社へと向かいます。このとき女や子どもは山に登ることはできません。 

山道の途中途中にはたくさんの幟が立てられ、お社前の広場には煌々と篝火が焚かれています。「おさっしゃ」はまず、 
神職の口上から始まります。村人の中にも意味のわかるものは少ない日本語とは思えないようなものです。その後に 
神への贄が捧げられます。酒と御幣と数日前に村人が仕留めた一頭ずつの鹿と猪です。そしてまた祝詞のようなものがあり、 
わたしは「にご」から出されます。ここで一年間習い覚えた踊りを披露します。わたしは無我夢中で踊り、なんとか一つも 
間違えずに終えました。周りを囲んだ男衆から口々に「よい出来だ」「今年はよい」などの声が聞こえます。 
そうして踊り終えたわたしは茶碗一杯の御神酒を一息に飲むように命じられました。