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小学校高学年から中学校卒業までの5年間、苗字も名前も珍しいという理由で、「名前が汚い」「菌がうつる」といじめを受けて来ました。 
悪口だけではなく、私が日直の日は黒板の当番を書く場所に「バイキン」と書かれていたり、物を隠される、壊される等の被害にも遭いました。 
幸い暴力はありませんでしたが、鳥の死骸を机に入れられ、女子が口裏を合わせて「○○さんが殺してました」と嘘をつき、先生が親を呼び出すなどのことも。 

毎日がつらかったのですが、親に相談しても「高校に行くまで我慢しろ、いじめられるほうが悪い」と言われ取り合ってもらえませんでした。 

中学校は私の通っていた小学校からは全員、他の小学校からの生徒が少し入る学区で、いじめは市内のほぼすべての学校に知られていたと思います。 
塾で他校の生徒から「バイキンが来た」と言われたり、自転車で通りかかった後ろから「気持悪いんだよ!」と罵られたりしました。 
学校のない日曜も外に出れば罵声を浴びる日々でした。 

いつしか私は、事の発端となった女子グループを強く憎んでいました。 
ただ死ぬだけでは足りない、生きているのが辛いのに自殺すら出来ないほどの状況に陥ればいいと、毎日のように考えるようになりました。 
それは段々と具体的になり、Aは不治の病で苦しむこと、Bは事故にあうこと、Cは家族に災厄が振りかかること、Dは犯罪者になること… 
私をいじめていた主犯格の女子は4人いて、中学校を卒業するまで3年間、1日も休まず4人の不幸を願いました。 

高校へ進学するといじめていた女子と離れたこともあり、いじめられることはなくなりました。 
そのまま何事もなく大学へ進み、社会人となり、結婚して普通に暮らしていた時、SNS経由で当時私をいじめていたうちのひとり(主犯格ではない)から 
同窓会の連絡がありました。 
気乗りはしませんでしたが、むかしのことをいつまでも引きずることもしたくなかったので出席することにしました。 
主犯格の4人への憎しみもいつの間にか忘れていたのです。 

同窓会の当日、会場の少し雰囲気が変でした。 
あの4人と、4人が所属していた部活動の顧問がきていなかったのです。 
みんなが私を見て、驚いた顔をしていました。 
私が「彼女たちはどうしたの」と聞くと、知らないの?と更に驚かれました。 

私を「バイキン」「ビョーキ」と罵ったAは、数万人にひとりの難病を3つかかえ、自力で動くことができなくなっていました。 
「この世で一番のブス」と毎日私へ罵倒を繰り返していたBは、交通事故で脚が不自由になったあと火災に遭い、逃げ遅れて顔を火傷で失いました。 
私の妹を「バイキンの血筋」と言ったCは、弟の家庭内暴力で家族が離散し、母親の彼氏に暴行をうけ、そのまま引きこもりになりました。 
私の名前を「犯罪者になればすぐ覚えられる」と言ったDは、詐欺罪で全国紙に名前が載りました。 

そして顧問ですが、当時私への罵倒を横で聞いて笑っていた人です。 
赴任先で不良に刺され、下半身不随になり、奥さんに逃げられひとりで病院にいるそうです。

同窓会に来ていた人たちはみんな当時のいじめを知っていたので、私が呪ったと噂になっていたそうです。 
私は高校卒業後すぐに地元を出たので、そんな噂は全く知りませんでした。 
そして皆口々に「あの時は止めずにすまなかった、どうか呪わないで欲しい」と言っていました。 
すっかり忘れていたのに、その口先の謝罪で、当時この人からはこんなことを、あの人からはあんなことを、と思い出し、またあの頃の憎しみが湧き上 
がるのがはっきりと分かりました。 

呪ったつもりはないけど、私があの時感じていた苦痛は、死ぬに死ねない生地獄だった。 
彼女たちの境遇を聞いても何とも思わない。 
親も教師も、あの時から私の中では救いの相手ではなくなっていた。 
許すかといわれたら、私は全員を一生許さない。 
この先また、憎しみが湧いたらきっと私は同じように不幸を願い続けるだろう。 
唯一お互い穏やかに過ごす方法は、あなたたちが金輪際私に関わらないこと。 
顔を見たら、声を聞いたら思い出して憎くなってしまうから。 

そう伝えて私は同窓会をあとにしました。

後日、SNSでAのアカウントを見つけました。 
身体が動かなくなる難病、血液が正常に造られなくなる難病、心臓の難病。彼女は寝たきりで、かろうじて動く指先で日々の小さな喜びを綴ってい 
ました。 

私は彼女に、1通のメッセージを送りました。 

「あなたに5年間バイキンと呼ばれた私は、今は結婚して仕事もうまくいき、毎日とても幸せです。毎月旅行もしています。 
Aさんは今、本当に幸せですか?」 

彼女からの返信はありませんでしたが、そのメッセージを送ってからの日記は次第に陰鬱になり、ついに更新が途絶えました。 
最後の日記には、私をいじめていたことへの懺悔と、何かに救いを求める言葉が並んでいました。 

私はおそらく、少し病んでいるのだと思います。 
Aの日記が陰鬱になるのを見て、可笑しくて可笑しくてたまりませんでした。 
もっと不幸になれ、もっと苦しめ、毎日そう願いながら更新を楽しみにしていました。 

Aは昨年、亡くなったそうです。