都市伝説

【都市伝説】妖精の矢じり

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384 : 粉[] 投稿日:2012/11/15(木) 05:52:17.90 ID:DvqYoIyf0 [1/1回(PC)]
妖精の矢じり 

空から奇妙な細工が落ちてくるということが古くから記録に残されている。 
特に小さな矢じりのような形のものを「エルフ・ショット」と呼び 
これを英国人は得に忌み嫌ったという。 
実際に空から落ちてくるものは様々であり、記録を調べてみると 
金メッキ製品1911年以降、化学製品は1842年以降、 
ボルトやナットは1936年以降、 
プラスチック製品は1955年以降の現象であるとわかる。 
竜巻で巻き上げられたのが原因の一つではないかと言われているのだが、 
1955年インドのビジョリでガラスのビーズ玉が定期的に空から 
降ってくるできごとがあった。 
時には掌ですくえるほど大量に降る事も有ったというのだが、 
それにあわせて在庫が減った工場や倉庫を探したのだが 
一切の手がかりはつかめず、いったいどこで作られたものなのかも 
結局不明なままだったという。

【都市伝説】機関車とミイラ

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378 : 粉[] 投稿日:2012/10/04(木) 03:00:10.70 ID:fVPnHJde0 [1/2回(PC)]
機関車とミイラ 

「ミイラ取りがミイラになる」という諺があるが、 
このミイラ取りというのは、考古学者では無くミイラを取りそれを売る業者のことである。 
ミイラはどうなるのかというと、見世物小屋など飾られり「ミイラの解体ショー」などで切り刻まれ、 
最終的には粉末にして薬として売られた。 

産業革命以後は、薬としてのミイラの利用が減少するが今度は燃料として注目される。 
蒸気機関車の燃料として一般人ものを含めた大量のミイラが使用された。 
防腐剤として松ヤニなどが染込んだミイラは、十分に石炭の代わりになったのだ。 
「このミイラは燃えが悪い。貴族のミイラをもってこい」 
貴族のミイラには松ヤニなどが、ふんだんに使われていたのでよく燃えたのだという。 
石炭が安価になると、ミイラの価格も下がりやがて取引は無くなったのだが、 
今度はオカルトとして注目される。1970年代にはニューヨークで、 
「本物のミイラの粉末」が一オンスあたり40ドルという高値で取引されていた。 

【都市伝説】首なし鶏マイク

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313 : 309-311[sage] 投稿日:2012/08/06(月) 23:17:02.96 ID:6xN4lhfFi [1/3回(iPhone-SB)]
首なし鶏マイク 
コロラド州の農家ロイド・オルセンの家で、1945年9月10日に夕食用として1羽の鶏が首をはねられた。 
その鶏は首の無いままふらふらと歩き回り、それまでと変わらない羽づくろいや餌をついばむようなしぐさをし始めた。 
翌日になってもこの鶏は生存し続け、その有様に家族は食することをあきらめ、切断した首の穴からスポイトで水と餌を与えた。 

翌週になって、ロイドはソルトレイクシティのユタ大学に、マイクと名づけた鶏を持ちこんだところ、マイクの頚動脈が凝固した血液でふさがれ、失血が抑えられたのではないかと推測された。 
また脳幹と片方の耳の大半が残っているので、マイクが首を失っても歩くことができるのだという推論に達した。 

結果、マイクはこの農家で飼われることになったが、首の無いまま生き続ける奇跡の鶏はたちまち評判となり、 
マイクはマネージャーとロイドとともにニューヨークやロサンゼルスなどで見世物として公開された。 
話題はますます広がるとともに、マイク も順調に生き続け、体重も当初の2ポンド半から8ポンドに増えた。 
雑誌・新聞などのメディアにも取り上げられ、『ライフ』、 『タイム』などの大手に紹介されることとなった。


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【都市伝説】無名祭祀書=黒の書

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281 : 本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2012/07/07(土) 15:17:36.10 ID:kkBETpoG0 [1/2回(PC)]
無名祭祀書=黒の書 
著者であるフォン・ユンツトが世界中を回って見聞した、クトゥルフ、ヨグ=ソトース、ツァトゥグァ、ガタノトーア、シュブ=ニグラス、イグといった 
恐るべき神々にまつわる古代信仰、秘密の宗派、さまざまな伝承、忘れられた言語などについて記されている。 

本書には三つの版が存在するとされる。 

ドイツ語の初版(無削除版)は、『黒の書』とも呼ばれ、1839年にデュッセルドルフで刊行されたクォート判(四つ折り版)の本である。 
これは鉄の留め金のついた革製の装丁がなされており、発行部数が少なかったことと所有者たちが焚書にしたことにより、現在、 
ヨーロッパとアメリカの図書館に全部で6部しか残存していない稀覯書となっている。出版後、ただちに発禁処分とされた。 

第二の版は、1845年にロンドンのブライドウェル社から出版された英訳の海賊版である。翻訳者不明だが誤訳が多いとされ、多くの 
グロテスクな木版画が収められている。公的、あるいは私的なコレクションに少なくとも20部が現存していることがわかっている。初版と同じく、 
出版されてすぐに発禁処分となっている。 

第三の版は、1909年にニューヨークのゴールデン・ゴブリン・プレス社から出版された英訳の削除版である。 
これにも誤訳、誤植などの間違いが多数存在するが、廉価な八つ折り判であったこともあり、比較的多く現存すると考えられる。 

フォン・ユンツトは本書が出版された翌年(1840年)に、施錠され、閂で閉めきられた部屋の中で、 
ひき裂かれた未発表草稿とともに、喉にかぎ爪の跡が残った絞殺死体となって発見された。 

またその後、彼の友人アレクシス・ラドーによってこの破られた草稿が復元されたが、ラドーは草稿を読み終えた後、即これを焼却し、自らの喉をカミソリでかき切って自殺した。

【都市伝説】ルガッソー海

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84 : 粉[] 投稿日:2012/04/07(土) 08:07:49.52 ID:OGIUl3Kh0 [2/2回(PC)]
サルガッソー海 
メキシコ湾流、北大西洋海流、カナリア海流、大西洋赤道海流にと言う 
海流の流れに囲まれた長さ3000キロ以上、幅1100キロ以上になる海域。 
これらの海流が時計回りに回って巨大な渦を作っているため、この海域は潮の流れが無い状態となり、あらゆる浮遊物が流れ込み滞留している。 
特に数百年にわたってサルガッスムと呼ばれる海藻類が密集してそれらが絡み合い、潮の流れのない無風状態が続くとそれらが 
半液体状になるまでになってしまい「粘りつく海」ともよばれることがある。 
帆船の時代はまさに魔の海域であった。もともと風の弱い亜熱帯に属しているうえに、潮の流れも無くなると 
その粘りついた海からに足をとられた帆船は、数週間は身動きがとれなくなるということが常だった。 
船乗りは乗員の食糧保全のため、飼料を消費する積荷の馬を捨てる、あるいは食べてしまわなくてはならなくなるので 
「馬の緯度」と呼ばれ忌み嫌われた。 
この海で風に恵まれず立ち往生してしまうと、何週間も動けずにいる間に船体に海藻が絡みつき、風が吹いたときには 
既に動けない状態になってしまっていることがあったという。そのため船乗り達は水と食糧の不足でしばしば全滅したという。 
船員が死に絶えて無人となった船は、無人のまま長い間この海域を彷徨うことになる。 
やがてはしだいに朽ち果ててゆき、最後には海藻に付着して一緒に流されてきたフナクイムシに 
船体を食い荒らされて沈んでいくという。 

現在でもこの海域は、小型の船舶にとっては危険でサルガッスムがスクリューに絡まってしまうと 
そのまま動けなくなることがあるという。そうなると自力で脱出することは厳しくまた岸に流れ着くこともない。 
何らかの事情で救難信号を発することが出来なければ、船は乗組員が死に絶えた後も 
そのままその海域を漂い続けていることになるという。 

【都市伝説】デスバレーの動く岩

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76 : 粉[] 投稿日:2012/03/27(火) 23:55:50.24 ID:DRPQ5d2l0 [1/1回(PC)]
デスバレーの動く岩 

米国カリファルニア州のデスバレー国立公園に奇妙な石がある。干からびた大地の上に点在する数十個の石に、 
それぞれてんでバラバラに引きずられた後がついているのだ。近年では、監視する取り組みもおこなわれているが、 
その瞬間を見た人は誰もい。ただ気がつけば石が動いた軌跡のみが残されているという。 
 このことは古くら知られており、1948年には地質学者ジム・マクアリスターらが、 
エリアの岩盤をマッピングしその謎を探ろうとした。国立公園の博物学者たちも、 
この謎に取り組もうとさまざまな記録を残している。 
 現在有力な仮説として、ジョン・リード博士の説がある。このデスバレーで、 
冬季に雨が降ると浅い湖が出来て、夜になると表面に薄い氷が張という事から、 
その氷が石に付いて地表からわずかに意思を浮かせ、そこに強風が吹くと石が移動することになるのではないかという説である。 
 しかし、それにしては石の軌跡がそれぞれに違い、時には蛇行したり、鋭角に曲がったり、 
また逆方向へ進んでいたりするという説明をするためには、 
それぞれの石に違った方向から吹く風が当たらないと説明がつかず、完全な説明とは言われていない。 
 この問題は、今なお全米の科学者たちを悩まし続け、 
今でもあらたな実験や仮説が提唱されては消えていく状態であるという。

【都市伝説】太歳 石のようなゴムのような生物のような不思議な物体

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65 : 粉[] 投稿日:2012/03/24(土) 04:29:49.75 ID:amZEZyFn0 [7/10回(PC)]
太歳 

中国で古くから霊力があると言われてる 
石のようなゴムのような生物のような不思議な物体。 
茶色や白、黄色、あるいは黒色であったり様々なものが存在すると言われている。 
近年発見された太歳らしきものに関しては、徐々に大きくなっていくという報告のものが多い。 

古来中国では不老不死の妙薬の原料とされ、始皇帝が徐福に命じ不老不死の仙薬を求めた時も 
その重要な材料として太歳の名前が挙がっている。 
他にも、肉霊芝または肉万年茸と呼ばれて、中国古来の地理書や医学書にその名前が出てくる。 

現在中国では、この太歳は幸運を呼ぶものと解釈されている場合があるようで、それらしきものが 
大金で取引されているという話もあるのだが、歴史的に見れば、 
祟り神のようにして扱われている場合も多くあり、中には「長い間触れていると死ぬ」といったような話もある。 

可能性として語られる話に、太歳とは、変形菌の一つで、変形体と呼ばれる栄養体が移動しつつ 
微生物などを摂食する動物的性質を持ちながら、胞子により繁殖するといった植物的菌類的性質を 
併せ持った生物ではないかという指摘があるのだが、 
どれが本来の太歳であるか不明なためはっきりしたことはわかっていない。 
仮に、変形菌のひとつであるとすれば、生活環境や、その種の違いによって、 
キノコのように時には毒素を作り出したり時には多幸感のある物質をつくりだすことも 
無いとは言い切れないのではないだろうか。

【都市伝説】頭蓋穿孔

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60 : 粉[] 投稿日:2012/03/24(土) 02:38:43.12 ID:amZEZyFn0 [2/10回(PC)]
頭蓋穿孔 

トレパネーション。頭に穴をあけて脳を解放することで血流量を増やし、 
脳を活発化させて、日々の倦怠感から解放し、多幸感を得ようという医学界では認められていない施術。 
太古から行われていた外科施術の一つと言われている。 
正規の医師の管理下によらず、自らドリルを手に頭頂部に穴をあける人たちもいる。 
医学的には全くの根拠が無いと否定されているが、 
長らくうつ病に苦しんだ末、トレパネーションによって活動的で幸福な人生を手に入れたと主張する人たちは、 
うつ病の解決策の一つだとして、トレパネーションを推進しようし、医学界が積極的に取り組まないのは、 
巨大な抗鬱剤市場をもつ薬品業界の陰謀であると主値している。 
そもそも、近代トレパネーションの発端は、 
1965年にオランダで発生したプロボという社会変革活動と密接な関係がある。 
アーチストやアナーキストや学生運動家などを含んだプロボタリアート(プロボ活動に参加する人)たちは、 
世間にその主張を訴える行動をプロボケーションという手法を取った。 
そのプロボケーションとは言い換えれば「世間を挑発すること」であり、 
プロボタリアートの唯一の武器として機能し、一時は地方議会の議席を得るまでになっていた。 
そしてプロボケーションの手法の一つとして、ドクター・フヘスが、 
直接的に頭蓋骨に穴をあけるトレパネーションを唱えた。 
これを第三の目運動という。当時、彼らプロボタリアートは、 
LEDなどにも積極的に取り組み「大脳の活性化」という目標をたてており、 
このトレパネーション、第三の目運動が目的と合致するとされた。 
またアフリカには石器で頭頂部を切り開くような、 
伝統的なトレパネーションが未だ残っている。

【都市伝説】ヒバゴン

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59 : 粉[] 投稿日:2012/03/24(土) 02:36:42.93 ID:amZEZyFn0 [1/10回(PC)]
ヒバゴン 
1970年代に広島で目撃されたという大型類人猿型の未確認生物。 
複数の目撃情報があり、 
人間によく似ているのだが、 
顔は逆三角形で、目が鋭くぎょろっとしていると言われている。 
全体に薄い黒にちかい茶褐色の毛に覆われており、頭には5センチメートルほどの毛あり、逆立っているのが特徴。身体全体は、黒にちかい茶かっ色の毛に覆われているという。 
動作は鈍く人を恐れる様子はないと言われている。 

正体については、諸説いり乱れているが、 
大猿や熊の見間違い、逃げたしたオランウータン、あるいは浮浪者か、世捨て人のように山で暮らす人ではないかと様々で、 
昭和初期に、比婆山に近い山村で身重の娘が姿を消したという話から、その娘が山中で産み落とした子供が野生児としていきていたのではという話まである。 

1974年10月11日の目撃を最後に、ぷっつりと消息がとだえている。 

【都市伝説】バビロンの空中庭園

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29 : 本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2012/02/17(金) 23:06:03.55 ID:g/p/KUb+0 [1/2回(PC)]
バビロンの空中庭園 

現在のバグダード郊外にそれらしき遺跡が残る。紀元前600年頃に新バビロニアの王、ネブカドネザル2世が、メディア出身で砂漠の国に輿入れするのを嫌がった王妃アミュティスを慰めるためにバビロンに建造した。 
宮殿の中に作った高さ25m、5段の階段状になっているテラスに土を盛り、水を上まで汲み上げて下に流し、樹木や花などを植えた。あまりの大きさのため、遠くから見ると、あたかも空中に吊り下げられているように見えたという。 
一番上の面積が60平方メートルと推定される。紀元前538年のペルシアによる侵略の時に破壊されたという。 

ストラボンやディオドロスなどの歴史書やプリニウスの『博物誌』では言及されているが、ヘロドトスには知られていない。ニネヴェにあったという別の庭園と混同されているのでは、という説もある。 
ストラボンの説明によると、柱や地下室は煉瓦で作られ、四隅を柱で支えられ高いところへ据えられた立方体のテラスに土を盛って庭を構成し、 
その上にアーチ上の屋根が架けられていたという。「吊り下げられた庭園」という誤解があるが、それはギリシア語のkremastosまたはラテン語のpensilisの不正確な翻訳のせいらしい。 
水を汲み上げる方法については、らせん水揚げ機などの説明がされているが決定的ではない。 
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