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    オーパーツ

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    エジプトの古代都市遺跡アビドスには幾つかの遺跡があるが、

    中でも有名なのは、ラムセス2世の父親・セティ1世(BC1300年頃)の葬祭殿である。

    1997年、葬祭殿を見学しに来ていたブルース・ローレスという研究家は、

    セティ1世の葬祭殿の一角に不思議なものが描かれているのを発見した。 

    そこには、まるで現代のヘリコプターや戦車、そして、戦闘機のような飛行物体が描かれていたのだ。

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    1921年にザンビアで発見された化石。

    かつてはネアンデルタール人のものだとみられていたが、現在はローデシア人のものだという見方が強いという。

    頭蓋骨の左側に小さな穴が開いており、ベルリンの法医学者が調査したところ、

    「高速で発射された物体が貫通した痕」だという結論を出したと言われている(弾丸とまでは言っていない)

    。実際のところは、この頭がい骨には問題の穴以外にもいくつか穴がある。

    また、確かに穴が開いた原因については不明だが、穴には治癒した痕があるため、外傷性のものとは考えにくい。

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    バンディアガラの断崖は、マリ共和国のドゴン族居住地域となっている断崖。

    その壮観な自然環境と、マルセル・グリオールの紹介によって広く知られるようになったドゴン族の文化が保持されている地域であることから、ユネスコの世界遺産に登録されている。

    この断崖の標高差は500mであり、幅は150kmに及んでいる。この断崖の所々や、断崖の裾野に、ドゴン族はおよそ700の村落を作り、25万人ほどが暮らしている。ドゴン族がこの地に定住を始めたのは700年ほど前のことである。

    それ以前にはテラン族 たちの居住地として使われていたが、ドゴン族の流入によって追い出された。

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    ナン・マトール遺跡は、ミクロネシア連邦のポンペイ島にある13世紀~15世紀の巨石構築物群である。なおナン・マトールとは「天と地の間」という意味。

    総面積40m2の92の人工島からなり、伝承によると行政、儀礼、埋葬などそれぞれの島で機能分担していたと言われる。

    伝承や遺物の検証からすると政治・宗教の拠点となった水城であったと考えられる。

    その中のナン・タワシ(ナン・ダワシ)と呼ばれる墓(宮殿)は、シャウテロール朝最後の王シャウティモイの王墓であると伝えられてきた。この遺跡については現在でも謎が多く、不明な点が多い。

    島には柱状の黒褐色玄武岩を縦横交互に積み重ねた囲壁が築かれている。

    玄武岩は付近のジョカージ島から運ばれたが、その玄武岩は自然に五角形または六角形に割れるため、加工が少なくて済む。

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    カッパドキアは中央アジアの歴史的地方、あるいはトルコの首都アンカラの南東にあるアナトリア高原の火山によってできた大地をいう。

    古代の地理において、小アジア(現代のトルコ)の広大な内陸地域を指した。

    ヘロドトスの時代には、「カッパドキア人」がタウロス山脈から黒海)までの全域をなしていた。

    この意味でのカッパドキアは、南ではタウロス山脈と、東ではユーフラテス川と、北はポントス地方(黒海沿岸部)と、西はおよそトゥズ湖と境界を接していた。

    だが、その境界を正確に定義することは不可能である。

    その国の多少とも詳細な記録を記したただ一人の古代の著述家ストラボンは、その大きさを非常に誇張したが、現在は長さ約250マイル、幅150マイル以下の範囲だったと考えられている。

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    円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁からなり、世界で最も有名な先史時代の遺跡である。

    考古学者はこの直立巨石が紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられたと考えている。

    しかしそれを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るという。

    馬蹄形に配置された高さ7mほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、直径約100mの円形に高さ4-5mの30個の立石(メンヒル)が配置されている。

    夏至の日に、ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇ることから、設計者には天文学の高い知識があったのではないかと考えられている。

    また、当時としては高度な技術が使われており、倒れないよう安定させるため石と石の間には凹凸がある。

    遺跡の目的については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられているが、未だ結論はでていない。

    この遺跡とその周辺は、30kmほど離れたエーヴベリーの遺跡群とあわせストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群として1986年にユネスコの世界遺産に加えられた。

    また、登録古代モニュメントとして法的に保護されている。ストーンヘンジ自体は英国の国家遺産として保有・管理されている。周辺はナショナル・トラストが保有している。

    ストーンヘンジの複合体は2000年間に渡る数段階に分けて建設されたが、その前と後の期間にも活動があった証拠もある。

    ストーンヘンジで行われた活動の各段階の時代や内容を特定するのは、単純ではない。
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    与那国島海底地形は、沖縄県八重山諸島与那国島南部の新川鼻沖の海底で発見された海底地形である。

    人工的に加工されたとも考えられる巨石群からなることから、海底遺跡と考える説もあり、この立場からは与那国海底遺跡、与那国島海底遺跡とも呼ばれる。

    1986 年に、ダイバーによって島の南側海底に巨大な一枚岩が発見された。

    「一枚岩」は周囲数百メートルに及ぶ巨大なもので、人工的に切り出したような跡や、人がちょうど歩くことができそうな通路状の隙間、階段状の壁、柱が立っていたと思わせる穴など、人が加工しなければできないかのように思われる形状を備えていたため、遺跡ではないかと報道された。

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    多くの言語で「Machu Picchu」と呼ばれるこの遺跡名は、「老いた峰(Old Peak)」を意味するケチュア語「machu pikchu」を地名化したものの転写である。

    山裾からは遺跡の存在は確認できないことから、しばしば「空中都市」「空中の楼閣」「インカの失われた都市」などと雅称される。

    この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。

    遺跡の面積は約13km2で、石の建物の総数は約200戸が数えられる。

    熱帯山岳樹林帯の中央にあり、植物は多様性に富んでいる。行政上クスコと同じ地域に属している。

    現在ペルー国内では10ヶ所あるユネスコの世界遺産のうちでは最初にクスコと同時(1983年)に指定された。

    未だに解明されていない多くの謎がある遺跡でもある。2007年7月、新・世界七不思議の1つに選ばれた。

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    代史研究家のD・ダヴェンポートとE・ヴィンセンティが発見した、モヘンジョ・ダロから5キロメートルほど離れた場所にある区域。

    辺りにガラス化した石が散乱しており、ローマ学科大学の分析では極めて短い時間に高熱で加熱された結果出来たものだという。

    核爆発の痕跡らしき場所が存在し、その場所では今もなおガイガーカウンターが反応するとの主張がある。

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    紀元前2世紀から6世紀の間に、「描かれた」と考えられている。

    1939年6月22日、動植物の地上絵は考古学者のポール・コソック博士により発見される。

    ドイツの数学者、マリア・ライヒェがこの地に住み着き、彼女を中心として、地上絵の解明作業と、保護が行われるようになった。

    あまりにも巨大な絵が多く、空からでないとほとんどの地上絵の全体像の把握が難しい。

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