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私が小学生の時の話です。
その日は週末で、母は朝から仕事に出る支度をしていました。
父はというと、休日は一日中家で寝ているタイプの人間でした。

私は退屈を避けたかったからか、母を引き止めようと風邪っぽいと嘘
をつき、支度をしていた母に体温計を見せました。
体温計の先端に息を吹きかけ指でこすり、摩擦で高熱を装ったのです。

それを見抜かれていたかはさておき、母は仕事に行ってしまいます。
父は「熱があるなら今日はどこにも行けないね」なんて言う有様。
これではどこにも連れて行ってもらえない。自分で自分の首を絞めたことで退屈さに拍車が掛かった休日でした。

ひとり携帯ゲーム機で遊ぶのも限界があります。
仮病を使ったために、同級生と遊びに行くのも叱られそうで出来ませんでした。

父は案の定、テレビをつけっぱなしで寝ています。
もう自分も寝るしかないか…でも眠くないので眠れません。
寝っ転がっては時間が過ぎるのを待つだけ。

そんな時、地鳴りのような振動を感じたのです。

地震か?そう思っていると「パカパカ、ジャリジャリ」という音が玄関の方から聞こえてきました。
まるでテレビの時代劇のよう、その音は馬が走る音だと気付いたのです。

当時住んでいたのはマンションの2階。
玄関が北でベランダが南、縦長な間取りの3LDKです。
その時、私と父がいたのはベランダに一番近い部屋。
テレビが置いてあるのもベランダに近い位置です。
玄関の方から聞こえてくる音は、方向的にもテレビの音ではありません。そもそもスイッチは私が切ったばかり。
ましてや2階だし、東京だし、馬の走る音なんてしないのです。

工事でもしているのだろう、そう思っているうちに音が大きくなります。
そして馬に乗った武者たちが、家の玄関からベランダの方向。北から南の向きに走ってきたのです。
家の中は土埃が舞い、かなりの数の騎馬武者たちが家の中を駆けていく状況。
寝ている父の上を走り抜ける形で、玄関からベランダの先へと駆けていく馬およびその背に乗る武者たち。
彼らは透明というかホログラムのようになっており、これが現実なら父は馬に踏まれケガでは済まない状況でした。

その武者たちは、いわゆる落ち武者ではなく、どこもケガをしていない姿。
頭に矢が刺さったりしておらず、まだ戦の前のような外見でした。
旗のようなものをなびかせ、槍だか刀だかを携えて駆けていくのです。

これは何なんだ?
夢でも見ているのか?

そう思っていると、一匹の馬だけ父の近くで止まり、その背に乗る武者と私の目が合いました。

なぜこの人だけ、まだ家に中にいるのだろう?
前を駆けて行った武者たちに置いてけぼりをくらってしまうぞ?
私はそんなことを考えながら、その武者のことを見ていました。

するとそいつは私から視線をそらし、自分もとい馬の足元で寝ている父を見てニヤッと笑い、馬から降りたのです。
この時点で嫌な予感がしました。案の定そいつは刀を抜き、私の父のそばで刀を振り上げたのです。

ああ、まずい。このまま振り下ろされたら確実に…。
そう思った私は大声で「ダメー!」と叫びました。
すると私の声で父が起きたのですが、状況を把握していないからか「んー?どうしたの?」なんて言って、肘枕をしながら私のことを不思議そうに見てくるのです。
いや、その体勢で刀を振り下ろされたら確実に首が飛ぶだろう。何をやってるんだ?なんて考えたものです。

どうしよう、もうダメだ。
そう思って私が例の武者に視線を戻すと、そいつは私のことを不敵な笑みで見たあと刀を鞘に戻し、馬に乗り、前を走る仲間たちを追いかける形でその場を去ってくれたのです。

私が叫んだから諦めてくれたのか?とも思ったのですが、その武者は邪魔をされて悔しいといった顔ではなく。
むしろ、切る価値もない・興覚めだ、そんな余裕のある顔をしていました。

父は自分の身に危険が及んでいたことに気付いていない様子だったため、この人に言っても無駄だと思った私は、帰った母にその出来事を伝えました。
しかし「熱のせいで怖い夢でも見たんだろう」と言われるだけ。
私としても「実は仮病で熱なんてない」なんて言い出せずに、この件は終わってしまいました。

あそこで自分が叫んでいなければ、どうなっていたのか?
あのまま刀を振り下ろされていたら、父は後日ケガや病気になっていたのか?

それは永遠に分からないことです。